2011年11月6日日曜日

究極のとき、満たされたいのは嗅覚… 他の感覚は嗅覚に追従する

いつ自分が最後の時を迎えるかなんてわかるはずもないのだが、仮にその最後が事前にわかったとして…私の感覚は何を求めるのか。その究極の欲求はと考えてみた。キッカケは、服飾史家、中野香織さんの本日のブログ。

「姿も、形も、生態も、行動も、何を食うかによって変わってくる」(中野香織さんブログ2011,11,6)

ブログで紹介されている本、『最後の晩餐 死ぬ前に食べておきたいものは?』(宇田川悟 著 / 晶文社)は面白そうなので是非読んでみたいと思う。そして、様々な生き方によってどういう回答が出てくるのかを自分の場合と比較してみたいとも感じた。

私自身の「究極の欲求」を記す前に、まずは中野さんのブログに記された内容の中で共感できたことを挙げてみたい。

第一に、このブログタイトル。まさしく食べるもので身体も行動もつくられる…と日頃から実感していたところ。同時に思い出したことがこちら。以前、解剖学者の養老孟司さんが著書の中で、こんなようなことをおっしゃっていた…虫は幼虫のときにはせっせと食べて大きくなることが使命だから、食べることに機能が特化したかのようにまるで消化器官そのもののような形(あおむしなどを想像してください)をしているが、成虫になると生殖を目的とした形態へと身体を変える(蝶や蛾を想像してください)…。

第二に、中野さんが、ご自身は最後の晩餐は何を?ときかれたとしても食に執着がなく、ほっとくとほんとうに何も食べないので…とおっしゃる一方で、最後にこれを飲まなきゃ死ねないというお酒がある…として香り高いお酒を挙げられるくだり。私にも思いあたる。一人でいるときに何かに夢中になると食事で中断することを忘れてしまうことがある。(とはいえ、後になって猛烈な空腹を一旦意識してしまうと電池切れみたいに倒れそうになるので困ったもの。) そして、香り高いものへの欲求の高さ。特にお酒は量は要らないが、好きな香りのものを自分のペースで飲みたいという欲求は高い。香織さん同様、カクテルではサイドカーもスーパードライなマティーニも大好きです。

やはり私は、最後を目前にするような危機を感じたとして、可能であれば最も好きな香りを嗅ぎにいくだろうと思う。この感覚に食べることも含めて他の感覚も追従するのではないかと想像。究極のとき、満たされたいのは嗅覚。五感の中で一つを選ぶとするのなら。




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