2011年3月29日火曜日

可能性は0と100の間に

情報の質を見極める眼力を身につけることの大切さをこの記事から改めて思う。【JB PRESS】2009,12,17の記事である。タイトルは
『日本人の「国産」「天然物」信仰はスキだらけ』

4p目の内容から、私がアロマテラピーを学んだ頃に考えたことを振り返ってみた。薬事法で定められたもののみが「効能」をうたえるというくだり、私はアロマテラピーを勉強し始めた頃真っ先に学んだ。日本で誤解なく健全にアロマテラピーを普及させたいと願った国内の先駆的研究者の方々の配慮のおかげであると感謝している。

伝承的な背景から健康に役立つ可能性が天然精油にあるとしても、現在の日本の法律が認める医薬品と同じような扱いはできない。天然精油は医薬品とは法律上の基準が異なるために異なるカテゴリーに入れられることも理解した。だからといって無価値な訳ではない。役立つ可能性があるからこそ、実践と研究が続けられている。

私はこのようなデリケートな分野に携わる中、わかっていると思えることの中にも誤解があるかもしれない可能性と、わからないと思っていることの中にもいつかは理解できるかもしれない可能性を想定しながら、アロマテラピーを実践している。

そもそも香水が好きだった私は、身につけているだけで気分が上がり、悲しい思いをした時期にも随分気分がまぎれ救われた思いがした経験をもつ。香りはこんなに素敵なものなのに、日本の中で香水に抵抗を示す人も多く残念。そんなときに目に飛び込んできたアロマテラピーという考え方。もっと香りの有用性を勉強したいと思い、まずこの分野で日本で発行されている本を読んだ。

チャンスが訪れた。イギリス留学でアロマテラピーを学んだ方々や医師の研究会を聴講させていただく機会を得たのは1995年の事だったと思う。体質や感受性の観点から欧州流の方式をそのまま日本で普及させるのは難しいということゆえ、日本に合った形式を考え作っていかなければという皆さんの真剣な熱意を感じたことを憶えている。このメンバーの中には、後に社団法人日本アロマ環境協会名誉会長となられた医学博士の鳥居鎮夫氏の姿もあった。

その会の中核にいらした先生のもとでアロマテラピーを学んだあと、様々な疑問について考えるにあたり、英語圏からの専門書を取り寄せて読んだりもした。複数の研究者の著書を読むことから、わかっていることと、わかっていないこととを区別する訓練となった。

数学の教師だった母は「世の中に『絶対』なんてことはないし、気軽に言うものではない」と事あるごとに言っていた。母は他人の話を鵜呑みにせず、いつも自分でも調べてから判断しようとしていた。その性格が強く出たのは、父が突然倒れたときの医師の診断への対応。一人の医師の判断を「可能性の一つ」と捉えて納得いくまで調べた結果、父は今も生きている。

可能性はよくパーセント(百分率)で示される。「絶対」という言葉は、0または100という数字の設定のためにあるのかもしれない。この二つの数字の間に現実の可能性がある。情報が氾濫する中で、その意味と読み方を深く考えていきたいと思う。


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